七月七日 晴れ  ( 51日目 )

 今日も暑いなー。メルボルンでは、「寒い寒い」と言っていたが、ダーウィン近くになると「暑い暑い」だからね。これが同じ国内だとは、オーストラリアは本当にでかい。この辺に来ると、ダイコンのような、つまり、幹がダイコンの根で枝がダイコンの葉のような木が目立ってきた。それに、蟻塚の多いこと、まるでダイコン木と蟻塚を栽培しているようだ。
 今日はすばらしいと聞いている狭谷へ来たが、どうってことはない。いや、狭谷を見に来るにしても、ここまで来るのに一苦労だ。道が悪く。しかも道路幅が四メートルぐらいで、他の車と擦れ違うときなど、めいっぱい道路脇に寄り砂ぼこりを浴びる始末。たまりまセブンです。この道は俺のようなオフロード車ならともかく他のオン・ロード車なら無理がある。また、あるところでは川底を横切る所もある。もし、梅雨時期なら到底オートバイでは通れないだろう。普通兼用車でも無理があるかもしれない。
 オーストラリアは広いのだからもっと道を広くしろ!わかったかオーストラリア政府諸君。

シドニーからの走行距離 10846キロ

   ダイコンのような木をボブ・トゥリーという。
   なかにはかぼちゃのような木もあって中が彫りぬかれていた。
  家のようでもあった。
  その中に入ると涼しく、食料保存庫ともいえた。
   実は、この木を掘りぬいたのはアボリジニだという。
   グットゥ・アイディアである。
   ここでキャンプするのに二ドル程支払った記憶がある。
    私は、ボブ・トゥリーを見てから、ヘルメットを被って歌う曲がこんな曲になった。
    「このー木なんの木、気になる木、名前の知らない木ですから・・・・」
   ここでキャンプするのに二ドル程支払った記憶がある。
   薪代である。 やたらと薪用に木を切って欲しくないためかもしれない。
   それから、焚火をしてよいかどうかの警告板がある。
   半円の板に青、赤、黄と 色分けしてあり、矢印が赤を差している時は、焚火は禁止である   

切り抜いたのはアボリジニだそうです
七月八日 晴れ  ( 52日目 )  

 今日も続くラフ、ロードこうも悪い道が続くと肩がこってくる。服も荷物もオートバイもほこりだらけ。
 あじゃー、遂に問題の水がながれている川越がやってきました。まいったな、どうやって越えるかな。
 どこか浅いところはないかな。うーん、この辺なら浅くて下も固そうだな。よし、いっきに越えるぞ、行くぞ!やったー!成功。でもズボンはビッショリだ。こんなことでめげてはいけない。悪路はまだ続く。
 おっとっとー「ガシャ、ガシャ、ガシャ」やってしまった。カーブを曲がりきれず草の中へ突入。しかし、さすがのサスケこんなことは屁でもない。すぐに復帰。だっはっは・・・・見たかこのテクニックを、プロだね。
 まだ、明るいが、このレストエリアでテントを張ろう。とにかく、今日も疲れた。
 二組の夫婦がキャンプをしている隣にテントを張り、一緒にキャンプファイヤーを囲んで夕食。俺の毎回の下手な英語でみなさん一苦労であるが、今晩はお互い理解しあったような気がする。ビールも頂いたしね。そのお礼に鶴を折ってあげましたけどね。今晩もいい話をどうもありがとう。
 サスケ、おやすみ。

シドニーからの走行距離 11228キロ

   道を横切って柵がしてあるところもある。境界である
   オーストラリアでは、ほとんどが遊牧である。
   家畜が隣りの土地へ行かないようにである。
   だから、道を通り終わったら、必ずゲートを締めなければならない。
   噂では、日本の面積と同じくらいの牧場を持っている人がいるという。
   でっかいなー。オーストラリアは。
   オーストラリア人って、本当にフレンドゥリーである。
   あれこれと親切にしてくれる。
   ところが、私がビリー(日本でいえば飯盒のようなもの)でご飯を炊いていた。
   そして、缶詰を取りにテントから帰ってみると、ビリーが火から降ろされていた。
   「フットウシテイタカラ、オロシタヨ。」
   その後、日本のご飯の炊き方を英語で説明するのに大変だった。
でっけー!アリ塚
Oh my Got!
Keep closeと書いてある