七月四日 晴れ  ( 48日目 )  

暑い!晴れれば晴れるで暑すぎる。まぁ雨よりましである。これからだんだん上へ、行くのだから、もっと暑いだろうな。オースラリアの南と北ではこうも違うのだろうか。いかにでっかい国だか、しみじみ教えられた。
 やはり、この辺に来ると地形も大分違っている。何も無い。木も少ししかない。ある場所では、三百六十度何も無し。ちょこちょこと枯草が地平線まで続いているだけ。そこで、エミューを見たのです。八匹いや、八羽の子連れか、ダチョウに似ているかな。
 ポート・ヘッドランドのペトロ・ステーションでチェーンを直していたのだが、ボルトが全然緩まず、とうとう日が暮れてしまった。仕方なく、近くのバイク・ショップを教えてもらったが、もう今日は、終わりとのこと。明日の七時半から開くというから、明朝バイク屋へ持って行く事にした。
 ところが問題である。それも重要な問題が残っている。テントを何処に張るかという事。ここは、街の中、うーんまいった。もう真っ暗だもんな。さーてどこへ張るかな。ペトロ・ステーションの横にでも張るか。
「エックスキューズミー、ココデキャンプヲシテモイイデスカ?」
「オフコース、ドコデモスキナトコロデキャンプシテクダサイ」
「サンキュー」
 そして荷物を運ぼうとしている所へ、もう一人の人が来て言いました。
さぁ、ここで問題です。俺に何と言ったでしょう。店長みたいな人だったから、俺はやはり、駄目だと言われるかと思った。実は、
「オイ、ヨカッタラココヲツカイナ。」と、前に駐車してあるキャラバンカーを指差して、汚い格好をした俺に言ったのです。

 やっほー!ラッキーだね。ベット付きのバンなのである。
「サンキューベリーマッチ、サンキューベリーマッチ。」
ガソリンを入れる時は無愛想な奴だなと思ったが、凄く親切な人でした。
今晩は、テントを張らずに、しかも無料でクッションつきで寝られるぞ。オーストラリア人の親切さに、特に彼の好意に感謝しておやすみなさい。

シドニーからの走行距離 9820キロ

   南半球オーストラリアでは
   ご存知の通り北へ行けば行くほど暖かくなる。
   それから、太陽が傾いている方が北なのである。
   日中はTシャツ一枚で走れる。
   しかし、夜になるとグット冷え込み
   ウィスキーなしでは眠れない時もある。
   昼と夜の温度差が激しい。
   これが大陸性気候というものだろうか。
  オーストラリア人の思いやりは暖かい。
  鎖国という歴史を持った日本人には、
  考えられないことである。
  この旅の体験があったからこそ、
  身なりや人種に関係なく、親切にできる俺がいる。
  アフリカ人の人とも、会話ができるようになった。
七月五日 曇り  ( 49日目 )

 一万キロ突破。シドニーを出発してから一万キロも走った。よくサスケも頑張った。しかし、まだ予定のコースの半分も走っていないのだから、終点までは遠い旅。まぁ気ままにのんびりと行きましょう。
 今日、四人の子供と共に旅をしている夫婦に会った。旅をしながら子供に勉強を教えていて、途中の学校でその進み具合をチェックしているとのこと。
 こんな家族も居るのだなと思うと、さすがオーストラリアと思った。いいだろうな、自然の中を旅しながら、子供にいろんな事を教えていく。彼らは、今、すばらしい生活を送っている。

シドニーからの走行距離 10114キロ

   一九八七年のクリスマスカードが、ケアンズからきた。
   この時知り合った家族、エムンズ一家からである。
   子供達は私に絵を送ってくれた。
   インコの絵とコアラの絵である。思わず私は微笑んでしまった。
   彼らからは、どんなことがあっても生きていく勇気を与えられた。
   そして、この絵から、幸せと愛を感じる。
   オーストラリアの教育で感心することがある。
   小さいうちから『自由に選ぶ』と言うことを体験させているのである。
   何が飲みたいと子供たちに聞くと、四人の子供たちはそれぞれ考える。
 
 それを親はじっと待っている。
  けっして、ミルクとかジュースとか先に言わないのである。
左の遠方に見えるのがエミューだ
サスケとエミュー
埋立てた道