六月十九日〜二十三日 晴れのち曇り時々雨  ( 36〜40日目 ) 

 傷もややよくなったようだし、膿もひいたようだ。しかし、痛みはまだ残っている。  足を引きずりながらの市内観光。まあ、のんびりとこんな日があってもいいでしょう。しかし、お金を節約しなければならないところがちょっと厳しいな。こうしていると、オートバイで旅を続けるのがイヤになってくるな。
 と、思いつつ、明日はオートバイのタイヤ交換に行こう。
 本当、日本へ帰りたいのは本音です。
 でも、まだ、旅の三分の一が終わっただけ。
 一方ではシドニーまで続けたいという気持ちがある。

   お金、傷、オートバイのコンディション、どれをとっても、 残り約一万五千キロの旅は不可能に近かった。
   でも、その不可能を可能にしたかった。
   サスケと一緒にエアーズ・ロックを見たかった。
   小学二年生の時に 写真で見たエアーズ・ロックへ行きたかった。
   それから約二〇年、 私の瞳にエアーズロックが現れつづける。
   あのエアーズロックに登ってみたい。
   小さいころの夢を実現したかった。
   ただ、それだけだった。   
六月二十四日 曇り時々雨  ( 41日目 )

 日本人が以前に働いていたというホンダのバイク・ショップで後輪のタイヤを交換してもらった。 エンジンからのオイル漏れも見てもらったが直らず。七十ドル払った。今の自分にっとては大きな出費である。
 しかし、帰りに中古のバイク屋へ寄ったところ、新品のフロント・タイヤを見つけた。これはよいものを見つけたぞ。それを十五ドルで買い受け、フラットへ戻ってみんなに
 「これいいだろう。十五ドル、十五ドルだよ。いい買い物をしちゃったもんね」
 と、自慢気に見せたが、返ってきた言葉が、
 「駄目だよ、このタイヤは全くのオフロード用で、アスファルトの上を走るとスリップして危ないよ。使えない、使えないよ。」
 と、あっさり、あしらわれてしまった。がっかりである。

   後輪タイヤは、シドニーを出発する時に新しいものと交換してきたが
   七千キロで溝が 一、二ミリしか残っていなかった。
   タイヤは硬いほうがよいかもしれない。道路の舗装の悪さもあるかもしれない。
   この時期、オーストラリアドルは、1ドル約200円していたので高いですね。
   オイル漏れはとにかくひどく、予備のオイルを常に持っていないといけなかった。
   これがまた、結構金食い虫だった。
   しかし、よいものを見つけた。この前輪タイヤはまだラベルが張ってあって、
   一度も使用されてなかったのである。なぜ、よいものを見つけたかの理由は後で書きます。