六月十八日 晴れ  ( 35日目 )

 早朝灯台へ行く。海岸沿いを走ってゆくのだが、実に日本の景色と全く同じ。四国の海岸通を走っていた時を思い出すな。オーストラリアにもこんなところがあるんだな。
 「おーい、日本のみんな、聞こえるか。俺は今、オーストラリア・ツーリングを十分楽しんでいるぞ!」
おっと、叫んでいる方向が日本と全く反対方向でした。
 それから、鍾乳洞を見て回ったが、ここの鍾乳洞は一風変わっている。夏の間は水が流れて、小川が洞窟内にできるそうです。冬は全く乾いていて、その美しさまで見ることはできませんでした。
 三つ目の鍾乳洞へ行く時でした。T字路を右折する時に、カッコよくハンドルを切った瞬間、後輪がスリップ
 おっと、叫んでいる方向が日本と全く反対方向でした。                                      「ギー、ガシャーン!」
 「痛て、て、て、・・・・・・・・」
 右足がオートバイの下敷きになってしまった。
 駄目だ、足が抜けない。痛いなー、ちきしょー!あ〜ぁ、いてーよー。あっ!助かった。たまたま、そこへ通りかかった人にオートバイを立ててもらい、やっと足が抜けた。
 「サンキュウー、サンキュウー、ベリマッチュ」
でも痛い。骨には別状はないと思うが、だいぶ肉がえぐられたな。オートバイはウィンカーとハンドルが少し曲がっただけで走れないことはないな。他の鍾乳洞はあきらめて、このままパースへ行こう。
 あと、三百キロだ。しかし痛いな。足をステップへ乗せられねーや
 「いてーよ。誰かこの痛みを何とかしてくれ。いてーよ!」
 あっ!Y・Hだ。こんなところにY・Hがあるではないか。ここで傷の手当てをしよう。
 うわー、ひでぇーや、大分深手だな。膝の所なので曲げるのにしんどいな。ここのY・Hで一泊して療養しようかと思ったが、応急手当だけをして、先、パースへ急ぐ。途中、休み休み痛みをこらえて、道に迷いながら、転倒してから六時間後、夜七時、パースのY・Hに着く。
 負傷しながらのオーストラリア大陸縦断成功
 途中、メルボルンで十八日間滞在したものの、シドニーを出て、三十九日目に無事、いや、無事ではないか、パースに着くことができました。
 しかし、Y・Hがいっぱいで泊まれないや。またもや悲惨だ。二つ目のY・Hへ行ったが、まだオーナーがおらず、受付が開くまで待っていた。すると、そこへ、メルボルンで知り合った手島氏に会った。てっきり先へ進んでいると思っていた彼が、Y・Hへ寄って来てくれたのです。
 彼のフラットにしばらく世話になることにした。  

シドニーからの走行距離 7000キロ

   パースより海岸沿いに南へ約三百キロのこの付近には、いくつもの鍾乳洞がある。
   カーテン状のもの、細長くカール状になっているもの、真っ白なもの、恐竜の歯の化石が
   あるところもあった。
   オーストラリアには鍾乳洞がたくさんある。オーストラリアの鍾乳洞巡りというのも
   よい旅の一つかもしれない
   転倒して足がオートバイの下敷きになり、身動きできなくなってしまった。
   この時脳裏にある情景がよぎった。
   このたびを計画中に、あるオーストラリア人からこんな話を聞いた。
   オーストラリアを旅している殆どの人が、餓死で死ぬということを。
   そう、骸骨化した自分を想像してしまったのである。
   だが、一時間もたたないうちに、自動車が見えて、ほっと一息。
   ケガした時、私は医者に診てもらわなかった。これ以上の出費は目的達成に影響すると
   オーストラリアには鍾乳洞がたくさんある。オーストラリアの鍾乳洞巡りというのも
   思ったからだ。
   しかし、後日聞いた話では、旅行者だということで、
   無料で応急手当ぐらいはしてくれるそうだ。
   そのため、化膿してしまい、完全に治るまで一ヶ月もかかった。
   とにかく痛かった。
美しいパース市街
恐竜の歯の化石(恐竜も有袋動物だったのかな?)