はじめに

 この日記は、オーストラリアを1周した時のうち、メルボルンからシドニーまでの六七日間をサスケことオンボロバイクで旅をしたものです。そして、その一日一日を思い出し、後日談を書きました。
日記は、その時に感じたことをメモしておき、夜寝る前にテント等の中でまとめたものです。
 この日記をメルボルンからパース、パースからダーウィン、ダーウィンからアリス・プリングス、アリス・プリングスからケアンズ、ケアンズからシドニーと全5回に渡って日本の家族、知人に手紙として送りました。

1985年、南半球のオーストラリア大陸で見たこと、感じたこと、オーストラリア人との触れ合い、そして、今の私を書きました。

平成14年 9 月10日                  

著者 加藤 博永
六月三日 曇り ( 20日目 )

 メルボルンで十八日間過ごし、いざ、パースへ出発。しかし、今一オートバイの調子が悪い。
今日は、エンジンかかってくれよ。最初は押してから、駄目だ。もう一度、あーぁ駄目だ。
エンジンがかからねーや。こうしているうちに、もう午後の四時。出発、明日にしようかな。最後にもう一度挑戦してみよう。やったー!かっかたぞ!でも、もう5時だ。いや、俺は行くぞ!誰が何と言おうと行くぞ!
 ジーロングに着いた。さあ、テントを張ろう。なに!テントがボロボロではないかいな。あーぁどうしようか。今、七時、今ならメルボルンへ帰れば、まあ何とか間に合う。さすれば、また、うまい韓国料理が食べられる。どうしようかな。しかし、ここで帰ったら男がすたる。
 結局十時までかかってテントを直す。ガムテープだらけの継当てテントの出来上がり。
 しかし、テントを張る力が無く、その夜はKマートの裏で野宿。寒かった。

シドニーからの走行距離 1606キロ

 
   エンジンからのオイル漏れがひどく、そこに、何か原因があるようだった。
   エンジンは、キックスタートではかからず、オートバイを押してかけた。 
   これが結構疲れた。
   坂道を利用するのだが、失敗して、再度オートバイを坂道の頂上まで
   押して行くのがすごく疲れる。
   これを朝の九時から諦めもせずやっていたのである。
   テントがボロボロだったのは、テントを後部サイドに付けていたため、
   後輪に触れながら走っていたのである。
   つまり、後輪との摩擦で、熱に弱いテントが溶けてしまったのである。
   南半球では今は冬。羽毛の寝袋でも、寒かった。
   こんな時、水筒に入れてあるウィスキーを飲んで寝るようにしていた。
メルボルンの夜景をバックに
メルボルン駅
キャンベラにて